旅行日記


by dance_littlerock
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6.【モテ期?】

B型が多い(笑)クラスの女子達とは、美味しすぎて言葉が出なくなるというトルコ料理のケバブを食べに行ったり(実際出なくなった)、ネルソン郊外の森へトランピングに行ったりしました(NZではトレッキングのことをトランピングという)。この2人とは、とても仲良くなり、私のワーホリ生活のスタートを楽しいものにしてくれました。
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それでもまだ沢山の友達が出来たわけでなく寂しい時がありました。そんな時、どういうきっかけか忘れたけど、別のクラスの韓国人の男の子から誘われることが多くなりました。私は全くその気は無かったけど、暇だったし、いつも誘ってくれるので、一緒に名所の山に登ったり、教会に行ったり(彼はクリスチャン)、彼のホームステイ先で借りた自転車でサイクリングしたり、映画に行ったり(確かstar wars)、家まで送ってもらったりしました。

だんだんと彼の想いが本気になるのがわかり、重くなってきたので避けるようにしました。それで分かってくれると簡単に考えたのですが、、、
それは甘かった、彼は諦めないのです!

私が避けていても、何とか会おうとあの手この手を使うんです!そして私と会えたら、天を見上げて「Thank you, God!」と言うのです。その想いが重くて、私はもう嫌で嫌でたまらなくなりました!6月末から2週間、学校のホリデーだったので、そこを全部誘われたらどうしよう!という不安でいっぱいになりました(´・Д・)」

そんな頃、隣のクラスの佐賀県出身の男の子が、「ホリデーの間、何人かで北の島へ旅行するんだけど一緒にどうか?」と誘ってくれました。私は韓国人の彼から逃げたいのもあり、即答で行くことを決心しました。

この頃、女友達はなかなか沢山できずにいたけど、男の子からはなぜだかモテてていました。
隣のクラスのチェコ出身の男の子は、私のことを「She is hot!」と噂してくれてるようで気に入られていました。私の人生で男性から「hot」と言われたのは、後にも先にもこの時だけ(笑)

彼は格好良かったし、笑顔が素敵で、私はかなり意識してしまいました。図書館でひとりで勉強している時、「ここ良いかな?」と同じテーブルに座られた時も何も言えず、彼も何も言わず、黙々と二人で勉強しました。

彼は韓国人の彼と違い、何もアプローチしてきてくれなかったので、何も進展はありませんでした。(格好よい人ほど、何もしてくれない!)
もし彼がアプローチしてきてくれてたら、私のワーホリ人生はまた変わったものになっていたかもしれません!オホホ

でも、ワーホリに1年行くにあたり、母との約束が「1年で帰国すること」「外国人の彼氏を作らない」だったので、真面目な私にはそれは破れなかったと思います。さらにそのチェコ人の彼の苗字が「シス」だったので、結婚後の名前を想像すると…縁起がわるいので嫌でした(笑)


◇◇◇◇
これから1年後に私は帰国するわけですが、韓国人の彼から幾度となくうちの実家へ国際電話があり、(当時は仲良くなると住所と電話番号を出会い帳に書き合うのが普通でした。)嫌がる私の代わりに応答する母も困り果ててました(^^;;

その後、「冬のソナタ」という韓流ドラマが流行り、韓国人男性のアプローチがこういうものなんだと言うことがわかり、少しホッとしました。
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by dance_littlerock | 2015-01-25 05:10 | ニュージーランド

5.【語学学校へ行く】

ヘザーの家から歩いて学校へは、まず小高い丘から降りるのですが、背丈くらいの木々が生えているブッシュをジグザグに降りて、大きな道へ出ます。ヘザーに学校までの地図を書いてもらった時、「ジグザグ」と説明されて、ジグザグという言葉が英語だったんだと知り、ビックリしました。

6月は真冬のニュージーランドは起床時間はまだ暗く、車に霜が張り、とても寒かったのですが、なにせ私はバックパックひとつ背負ってマレーシアを旅してから来たので、厚手の上着なんて持ってきていませんでした。
ヘザーが真っ赤なジャンパーを貸してくれて、それを着て初登校しました。試験の結果、インターミディエイトというレベルのクラスに入ることになりました。
そのクラスメートとは15年経った今でも仲良しですが、「エミが真っ赤なジャンパーを着てクラスに入ってきたのが印象的だったよ。」と言われるほど目立っていたようでした(笑)

ニュージーランドでの留学は、二度目でしたが、今回も英語やナースや幼児教育といった専門コースなどがあるポリテクニックという種類の学校へ行きます。ニュージーランドではポリテクニックというの各地にあり有名でした。日本の学校と違い、ほとんどが平屋の校舎です。図書館は二階建てだったなぁ。

クラスメートは日本人のほか、韓国、台湾、香港、シンガポール、サモアなど。写真は課外授業で街のスーパーマーケットに行った時のものです。
クラスの仲良しの人たちと。
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この頃の私はまだ英語力もあんまりだったし、日本人を中心としたグループと仲良くなったのですが、なかなか馴染めませんでした。だけど個人で付き合うとみんなすごく良い子で合う。なんでだろう?

そして途中で理由がわかったんです。それはみんなB型だってこと!たかが血液型。だけどB型ばかりの輪の中にO型の私1人だと、しっくり来ない、馴染めない、掴めない感じでした(笑)
面白い発見ができたクラスでした。
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by dance_littlerock | 2015-01-19 09:10 | ニュージーランド

4.【ヘザーの孫と猫】

ヘザーにはとても可愛がってるジョシュという孫がいました。時々遊びに来る彼は人懐っこくて良い子で、子供と絡むのが苦手だった私ともすぐに仲良くなりました。

ジョシュと二人で街中に出掛けた時のことです。おもちゃ屋さんで、ピカチュウの人形を見つけました。彼はポケモンの大ファンで、何度も「これ良いなぁ」と欲しいアピールをしてきました(汗)。値札を見るとそこそこの値段です。私はワーホリで来てるし、1年間で使うお金も考えて生活してたので、そんなピカチュウを買う余裕はありませんでした。ごめんよジョシュ!彼の欲しいアピールを完全無視して、その場をしのいだのでした。
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ヘザーがジョシュを連れて室内でプラモデルみたいな車を走らせるレース会場にも一緒に行きました。どんなレースだったか全く覚えてなくて、唯一ここで覚えてるのは、ヘザーがある派手なアジア人女性を指差し「あの人シンガポールからNZに来てもう10年になるのに、全然英語が上達しないのよ。」と耳打ちしてきたことだけ(笑)


ヘザー宅には、ドーティーとクローウィという2匹の猫がいました。私は猫には特に関心がなかったのですが、ある時『猫って頭いいし、人間と同じやん!』と思う出来事がありました。

とある夜、ヘザーがリビングにいない時に電話が鳴り、緊張しながら英語で出るとヘザーのお友達からでした。私はJust a momentと言って、ヘザーはどこかと焦ってオロオロ。

するとドーティーだったかクローウィだったか忘れたけど、どちらかの黒猫が玄関で首だけ私の方に振り返り、「こっちだぜ!」と私に語りかけてるではありませんか!私は猫を信じ、玄関を開け、その後をついて走りました。ヘザーの家は玄関から出た下の階に裁縫専門の部屋があるのですが、そこまで黒猫が誘導してくれて、なんとそこにヘザーが居たのです!ビックリしました!すごいやん!

それ以来、猫を見る目が変わりました。本当に利口で、人間を助けてくれるんですね。猫ってすごい!ドーティーとクローウィありがとね(≧∇≦)
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by dance_littlerock | 2015-01-13 05:59 | ニュージーランド
ホストマザーのヘザーが旅行から戻り、私のホームステイ生活が始まりました。丘の上にあるこじんまりした綺麗な家で、子供は4人(みんな独立)いて、夫とは離婚してて、猫2匹と暮らしていました。

ホームステイは二度目だったけど、前回のマリーとジョンの家は殺風景だったしお世辞にも綺麗とは言えなかったので、この綺麗さと暖かさは本当に嬉しくてたまりませんでした(^O^)これぞ憧れていた海外でのホームステイって感じ。
特にお風呂!電気をつけると、熱電気というか天井から温かさを感じて、シャワーだけしかないこちらの生活の中、何より嬉しい温かみでした!

ヘザーの作る洋食も美味しかった〜!よくグレービーソースを作って、お肉にかけてくれました。
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ヘザーは、私の前にも日本人の女の子を受け入れていたらしく、その「ケィコ」の話をよくしてくれました。ケィコに台湾人の彼氏がいて、「その彼が土曜日のマーケットで餃子を売ってるから、そこへ行ってみたら?」とか友達が居なかった私を気遣って教えてくれました。でも後にその台湾人とお友達になったのですが、彼女の名前は「アキコ」ということが判明しました!外国人がアキコを発音するとケィコと聞こえるんですね(*^^*)

ヘザーの末娘のウェンディは、ヘザーの住む丘のふもとに住んでいて、テラスからふもとの通りが見渡せて(かなり遠いが)毎朝通勤するウェンディの姿が小さ〜く見えました。

ある朝「大声で叫んだら、ウェンディが気付いてくれるの。」と言って、テラスに出て、めちゃくちゃ甲高い声で「ウェーンディー!」と呼ぶと、ウェンディが手を振ってくれました!!ふもとまで沢山の家々があるので、全部に響き渡っていたので、私としては近所迷惑が心配で心配でたまりませんでした!日本なら町会長が怒ってきそうな…。それでも時々、甲高い声で「ウェーンディー!」と叫んでいました。名前がウェンディだから、お洒落で聞こえが良かったです。

優しかったヘザーですが、ある時アメリカ大統領がテレビに映って何か話してた時(クリントンだったかな?)急に怒って「F○ck!」と使ってはいけないワードを言ったので、私は超ビックリして無言で固まっちゃいました。なんで??未熟な私にはわからない何かがあったんでしょうね(^^;;

私のおばあちゃんが80才でも白髪染めをしているというと、ヘザーはとても驚いていました。そんな年で白髪染めして何になるのというような感じで。ブロンドの外国人と黒髪の日本人が白髪になるのとでは、その差は全然違うもんなぁ。
ブロンドの人はズルい!と気づいた瞬間でした(笑)

お庭が自慢のヘザー。でも私がホームステイしてた6月は南半球では真冬で、学校のために起きる時間もまだ真っ暗で、庭にもお花が咲いてなかったので、夏にまた見に来てね、と言ってくれました。
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by dance_littlerock | 2015-01-10 10:17 | ニュージーランド
1999.6.5

マレーシアでの楽しすぎた日々を胸にオークランドへ来ました。関空では寂しさで胸いっぱいだったのに、すっかり日本のことや家族のことは忘れて楽しんでいました(*^^*)

オークランドからネルソンまでの飛行機で出されたパイの美味しかったこと。日本の味でもない東南アジアの味でもない、ニュージーランドの味!最高に口に合いました。やっぱり私はこの国だ!と妙に納得しました。

ニュージーランドへは、4年前(1995年)の留学ぶりです!その時は、北の島にある街に住んでいました。だから今回は南島を選び、その中でも最北が1番暖かいだろうと思ってネルソンに決めました。またこの時、ノストラダムスが《1999.7月に地球は滅亡する!》と予言していたので、念のためニュージーでも地震が少なそうなところを考えて決めました。

美味しいパイに舌鼓をうっている間にネルソン空港に到着しました。今夜お世話になる学校関係者のおばさんがお迎えに来てくれていました。

この時はインターネットなど流通してなくて、大阪のワーキングホリデーセンターに行き情報を集め、そこの見本の文章を使わせてもらい、自分で学校を決めて、FAXを送りやりとりしました。当時の英語力は大したことなかったけど意外とスムーズに出来ました。

ホストファミリーも決まっていたけど今夜は都合が悪いらしく、学校関係のおばさん宅に泊まらしてもらいました。おばさんはブータン王国を旅したことがあるらしく、ブータンがいかに素敵な国が話してくれたり、キッチンの壁一面に洒落た絵が描いてあったり、夜はリビングを薄明かりにして本を読んだりと、ブータンも素敵かもしれんけど、おばさんのライフスタイルも素敵でした。

息子さんは学生時代に京都の宮津市に交換留学をしたことがあるそうで、「Do you speak Japanese?」と聞くと「ゼンブ ワスレタ。」と答えてくれました。ネルソンと宮津市は姉妹都市です。

さて、いよいよ学校の登校日初日!毎週月曜日に入学を受け入れているインターナショナルなクラスに入ります。1人でドキドキして登校すると、学校付近が嫌に静かです。人っ子ひとりいません。
「え?なんで?」
なんとその日は、クィーズバースデーとかいう祝日だったのです!入学要項を読み返してみても、今日の日付は間違いありません!信じられなーい(T_T)
学校のミスで私の登校初日は無駄に終わり、トボトボとまた歩いて帰ったのでした(~_~;)とほほ
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by dance_littlerock | 2015-01-07 19:22 | ニュージーランド
ニュージーへのワーキングホリデーは、私の人生で1番輝いていた青春の日々なのに全く日記をつけていなかったので、思い出して書くことにしました。15〜6年前の話だけど覚えてるかな。

1999.5.31出発

関西空港で食事をしたが、ご飯が喉を通らず。1年も家族から離れて1人で外国で生活することに緊張感がマックスでした。

直接ニュージーランドには入らず、マレーシアで1週間滞在します。理由は昨年(1998の秋)初めて1人旅したマレーシアが楽しすぎたから、そこで出来た友達に会いたかったから。

クアラルンプールでは、友達Cくんにいろいろ案内してもらいました。暑かった〜。Cくんの知り合いのJさんの家で泊まらせてもらいました。大豪邸で1人部屋まで与えてもらったのでした。

豪邸の中。
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Cくんと彼が参加する仏教の集まりに行った時、偶然日本語ができるおばさんに出会いました。彼女は日本のJICAで働いた経験があり(ご主人も)日本語ができました。私がチャイニーズタウンの安宿に1人で泊まってるというと「じゃあうちに来なさいよ!」とあっさり誘ってくれたのでした。

中学生の娘と小学生の息子もめっちゃ良い子で一緒に遊びに行ったり、Cくんも泊まりに来たり、マレーシアの日常を体験させてもらいました。

CくんとJさんの豪邸前にて。
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宿泊からご飯から送り迎えまで、本当にお世話になりました。Jさんに宿泊費も出さず、観光の時はCくんやCくんの先生がすべて出してくれて、みんなから至れり尽くせりしてもらいました。大感謝で私はますますマレーシアが好きになりました。

泣きながらマレーシアからニュージーランドへ向かいました。
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by dance_littlerock | 2015-01-07 06:21 | ニュージーランド