旅行日記


by dance_littlerock
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学費、旅費、ホームステイ代で69万円かかりました。さらにお小遣いとして両親は、30万円をもたせてくれました。お父さん、お母さん、ありがとう!子供の初めての留学に両親もワクワクしていました。いくらお小遣いを持たせていいかわからず、1ヶ月10万円という安易な考えで30万円になりました。父は、ファンガレイという街を下調べし、「ニュージーランドでも一二を争うほど治安のいい街らしい!」と教えてくれました。

当時まだ節約家でなかった私は、お小遣い30万円を使い切ることを目標にしてしまいました。今までつけたことのない香水を買いました。ジャン・ポール・ゴルチェのです!クラランスの化粧水も買いました。あとは、ニュージーランドの切手という6,000円くらいする本を買いました。他のクラスメートも同じのを買いました。今考えるととても勿体無い話です。

学校の帰り道、毎日「TIME OUT」という名前のチョコレートを買いました。これが美味しくて美味しくてたまりませんでした!

瞬く間に30万円を使い切り帰国しました。その4年後のニュージーランドへのワーキングホリデーで、私は超節約家と変貌したのです!やっぱり親のお金で行く海外生活と自分お稼いだお金で行く海外生活とでは、月とスッポンで違うなと感じたのでした。
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by dance_littlerock | 2013-01-30 00:29 | ニュージーランド
ノースランド・ポリテクニックという学校に留学しました。クラスメイトのほとんどは、ホストファミリーに車で学校へ送ってもらっていましたが、私の家は街に近く、歩いていけました。近所の丘にホームステイしてたK子ちゃんのホストマザーがたまに車で送ってくれましたが、このマザーの運転がめちゃくちゃ下手で何度も崖から落ちそうになったので、出来るだけ歩いて行きました。

歩いていくと、その道沿いの家の様子がわかり、楽しかったです。ニュージーランドの家はほとんどが平屋でした。途中、野良犬に出会い、なかなか先へ進めないこともありました。4年後に再びこの街を訪れて、この道を懐かしく歩いていた時には、途中で変態に出会いました。露出狂でした。何もされなかったから言えるんだけど、生まれて初めての露出狂との出会いにすこし感動してしまいました。あの人は、あんなとこ見せて、何が楽しかったんだろう(°_°)

話がそれたけど、
学校も平屋で、初日「えっ!これが学校なの?」と思う校舎でした。でも、初日のオリエンテーションから相当ワクワクしました。留学は私の夢でした。クラスメートはみな関西外国語短大でしたが、知らない子ばかりでした。

2クラスのうち私の方は、みんな優しくて良い子でした。とても心地良い仲間で、学校だけでなく、お互いのホームステイ先に泊まりに行ったり、旅行に行ったりと、本当に楽しく過ごしました。もう1つのクラスの方は、かなり気が強い子が多く、みんな「あっちのクラスでなくて良かったわ。」と胸をなでおろしていました。そんなちょっと気の弱い優しい子が集まったクラスメイトとは、数人を除いて今でも大の仲良しです。友達は一生の宝だとつくづく思える仲間です。
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先生もとても優しい人ばかりでした。ひとり私たちがビックリした先生は、ザナという女性の先生です。まだそこそこ若い先生でしたが、ノースリーブのワンピースを着て来たとき、なんとわき毛がボーボーだったのです!!ぶったまげました!その後、何度もノースリーブの日がありましたが、ずっとボーボーでした。剃り忘れじゃないんです!ジョンの鼻毛といい、ニュージーランドは毛に対して、日本人ほど過敏じゃないみたいです。

そのザナが先生だったある日、核実験についてのディスカッションをしました。ちょうどその時、フランスがニュージーランド近くのムルロア環礁で核実験をしたことがニュースになっていました。私は綺麗な海を汚してまで実験することが許せなくて、また、自国と離れた所で核をぶっ放すフランスが許せなくて、悶々としていました。その事をディスカッションで話しました。するとザナが熱く語る私に対して、「なぜ?」と半分あきれたように聞くのです。「なぜ?なぜあなたが怒るの?ムルロア環礁は日本から遠いし、関係ないじゃない?」と。信じられない!私は言いました。「私は日本人であると同時に地球人です。だから、地球を汚されるのがいやなんです!日本から遠いとか関係なく、地球で住んでるみんなが考えないといけない事なんです!」と。

ザナは目をまん丸くして、最後まで不思議そうに私を見ていました。わき毛だけでなく、地球の話まで、ニュージーランド人とは考え方の違いがあるんだなあと思いました。わき毛はともかくも、核実験は納得いかない18才の私。しかし、この時ほどディスカッションが面白いと思った時はありませんでした。

話は変わり、ランチはいつも校内のカフェテリアで食べました。サンドイッチとポテトフライをよく食べました。青い空、白くたなびく雲、緑の大地、男前のニュージーランド人の学生たちを見ながらのランチは、そりゃもう最高でした。3ヶ月で7kg太りました。

楽しくて仕方のない留学でした。
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by dance_littlerock | 2013-01-29 23:31 | ニュージーランド
ジョンは再婚でしたが、紳士的で優しくて、体格の良い知的な男性でした。日本からのお土産は、なぜかうちの母が「外人男性には電卓が受けがいい!」と、どこからか仕入れた情報により、電卓を持って行きました。大きめの電卓は高かったので、少し小さめの選んでいたら、ジョンの指には小さすぎて見えたのが、申し訳なく思いました。外国人というのは、指はもとより身体がこんなにも日本人と違い大きいのだと、ホームステイ初日に思ったカルチャーショックのひとつでした。

ジョンは小学校の先生でしたが、毎週木曜日の夜は家でギターを教えていました。多才なのです。ジョンに「私は長渕剛が好き。」とウオークマンで歌を聞かせてあげました。「良い歌だね。」と言ってくれました♫ジョンは「ピンクフロイドが好き。」と教えてくれました。でもいまだにどんな曲を歌う人なのか知りません。

私はもしホームシックにかかった時用に、大好きな長渕剛のベスト盤をカセットテープに作成し、恵美の精神安定剤として、持参していました(^-^)vでも3ヶ月間、毎日楽しすぎてホームシックにかかることはありませんでした。


ホームステイ最初の週末にジョンとマリーは、私とクラスメートの由佳を1泊で釣りの旅に連れて行ってくれました。海で鯛を釣りました。鯛=スナッパーという英単語を学びました。ジョンたちの友人宅に泊めてもらいました。
夜、ベッドルームに蜘蛛がでて、私と由佳は叫び声をあげました。ニュージーランドの蜘蛛は、身体は小さい割に手足がとても細長く、気色悪かったのです。ジョンが来てくれました。やっつけてくれるのかと思いきや、「They are very friendly」と言って、優しく蜘蛛たちを触りました。目からウロコでした。怖がる必要なんてなかったんだと思いました。
それ以来、不思議と蜘蛛が怖くなくなりました。今でも蜘蛛と遭遇すると、一瞬怖いけど、ジョンのセリフが蘇ります。


ジョンは、ブロンドの綺麗な髪の毛を腰あたりまで伸ばし、ひとつにしばっていました。でも鼻毛も長くて、結構な量が見えていました。マリーは、ジョンの鼻毛をどう思っているんだろう、というのが、3ヶ月間ずっと疑問でした。マリーほど美容やスタイルを気にする女性が、パートナーの鼻毛は指摘しないのだろうか。私なら絶対いやです!!私の答えとしては、きっとジョンは知的だし鼻毛が見えていようが、そんなん関係なくなるほどの魅力があるんだ、と納得することにしました。

ある時、ファンガレイで花火大会があり、家から見ていました。窓に張り付きながら、ジョンが私に「日本語でFire worksは何ていうんだい?」と聞いてきたので、「Ha Na Bi」と教えたら、「Ha Na Ge?」と聞き返されました。「そりゃあんたや!」笑いをこらえるのに必死でした。
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by dance_littlerock | 2013-01-22 23:19 | ニュージーランド
マリーのファミリーネームは、De Bruinと言い、両親はオランダからニュージーランドへの移民者でした。私達のファンガレイから車で30分くらいのところにあるダーガビルというもっと田舎町に住んでいて、よく夕食をおよばれに行きました。家はとても綺麗で、マリーたち兄弟の子供時代の写真が飾ってあり、暖かい雰囲気でした。

お母さんの作るお料理が好きで、バター風味のただの茹でたニンジンでさえ、なぜかとてつもなく美味しくて、毎回おかわりをしていまいたが、3杯目のおかわりは遠慮したという苦い記憶があります。お母さんは、レース編みをしていて、私の帰国前にひとつプレゼントしてくれました。「これ作るのにどれくらいの時間がかかるの?」と聞くと、「thousand time」と言い、私はびっくりしました。そんな時間のかかったものを私にくれるなんて、とても嬉しかったです。

お父さんが飼っている牛が家のそばにいました。牛の世話をしているお父さんの手は、ごっつくて薄汚れていて、でもそれがとて魅力的に思えました。お父さんはいつも石鹸のいい匂いがしました。ある時、お父さんに私が何か相談すると(内容は忘れました^^;)、
Do not worry! Everybody make mistakes! Carry on!! と言ってくれました。忘れることのできない貴重な言葉です。

ホームステイを始めた頃、マリーが「Mum and dad」というのを「Mum is dead」とヒアリングしていました。だから毎回マリーが「お母さんとお父さんがね」という度に私は悲しそうな表情をして聞いていました。初めて両親宅へ行った時、お母さんがとても元気で生きていたので、びっくりしました。そして嬉しかったです。

マリーのお父さんから「オランダ人の主食はジャガイモだ。オランダ人はジャガイモをいっぱい食べるんだ。」とおそわりました。本当に優しいお父さんたちでした。そして、私はこの両親と4年後に運命の再会を果たすのです!!

留学していた1995年から卒業ー就職ー退職をへて、1999年に再びニュージーランドの地を踏みました。その時はまだマリーとジョンには私がニュージーランドにいることは伝えていませんでした。私はファンガレイがある北島とは違い、南島で滞在していました。

ある時、私はアロータウンという鹿肉で有名な田舎町を鹿肉パイ(ベニソンパイ)を食べに訪れていました。道を歩いていると、前から見覚えのある顔が近づいてきました。「はてあれは、、、はっ!マリーのMum and Dadや〜!!」
ニュージーランドは小さな国とは言え、それでもこんな偶然はありません!マリーの両親に突然再会したんです!私は興奮を抑えながら、お父さんたちに声をかけました!向こうは一瞬面を食らったようにでしたが、4年前の記憶を辿り辿り、私を思い出してくれました。

その思い出し方というのがちょっと笑えました。お父さん「あ〜、君はあの車酔いする子か!」と言って、私を思い出してくれたのです。ファンガレイから両親宅のダーガビルまで車で30分でしたが、私は確かに車酔いしていました。なぜならジョンの車がオンボロで、臭いも良くなくて後部座席でよく倒れていました。そんなこと当の本人は忘れていたのですが、、、きっとダーガビルについた頃、私の顔色はいつも悪かったんでしょうね。お父さんはそれを見てくれていたんだな^^;

ジョンの水色の車は、車後ろのTOYOTAのロゴが一文字はずれ、OYOTAになっていました。マリーのカローラはまあまあ新しかったのにみんなでお出かけの時は、なぜかいつもジョンのオンボロ車を走らせたのです。

今でもいい香りのシンプルな石鹸の匂いをかぐと、ふとお父さんのことが思い出されます。お母さんからもらったレース編みは今だに私の宝物のひとつです。
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by dance_littlerock | 2013-01-19 22:47 | ニュージーランド
両親がオランダからの移民のマリーは、デミムーアに似た顔つきで、スレンダーで、性格はとてもテキパキとしていて、歩くのもすることもすべてが早く、トロい私とは対照的な女性でした。

料理はいつもワンプレートにメイン料理とサラダを乗せてくれました。テーブルではなく、居間でソファに座りながら食べましたが、私が驚いたのは、お盆です!

マリー宅の木製のお盆は、底(裏面)がクッションになっていて、各人がお盆をひざに置いてソファに座っても、ご飯が食べやすくなっていました。後にも先にも、こんなお盆は見たことがありません!

料理のあとは、他のホストファミリーはデザートが絶対出たと言って羨ましかったのですが、うちはフルーツポンチなどフルーツの盛り合わせでした。マリーはまだ結婚前だし、とても美容やスタイルにこだわっていました。

マリーとジョンほど、出好きはいないという程、週末はもちろんのこと、学校帰りや、夕食後など、出掛けさせられました。ありがたい事なのですが、ちゃきちゃきしたマリーは突然「Emi!4minutes!(出掛けるから4分で用意してー!)」というのです。ちゃきちゃきしてない私は、突然言われて4分後に外出いうのには困りました。

当時の私は、ソパージュ頭で、4分後と言われるやいなや、洗面所の鏡の前でスーパーハードのムースを勢いよくつけて、ソパージュを整えていました。

マリーは、初日に「シャワーは3分以内に入るのよ。」と言いました。3ヶ月間、毎晩、猛スピードでシャワーしました。

マリーは、鼻をかむティッシュを長そでの袖口の中に1枚いれていました。かみおわったティッシュもまた入れました。私は驚きました。そして、また同じティッシュで鼻をかみました。

彼女はとてもエコなのです。私なんか鼻をかむ時、口をふく時、テーブルをふく時、いつでもいっぱいティッシュを惜しげも無く使いまくります。
エコだから、シャワーにもうるさかったのです。水を守ってるんですね。ティッシュも袖口に入れておくと、さっと出せて便利だし。

マリーは、青いマスカラをしていました。当時、黒いマスカラしか知らなかった私は驚きました。帰りの空港のDFSで、真似して青いマスカラを買って帰りました。だから短大生だった私は、青いマスカラをよくしていました。

マリーにはたくさん影響を受けました。私がその後、旅人になったりしたのも、彼女の影響が強いと思います。

彼女は当時(1995年)はDINKSを目指していました。夫婦共働きで子供はいないってことです。でも、2009年ごろ女の子を出産したらしいです。新しいパートナーとの間に。

三ヶ月の留学後、帰宅してからマリーとジョンに国際電話をかけました。留学前はろくに英語なんて喋れなかったのに、30分間も喋りました。横にいた母に「私の英語うまかった?」と自慢気に聞きました。母は「あんた、やっぱりジョンよりマリーに気を使ってるな。」と言いました。そして、その国際電話代は5000円くらい請求が来ました。

マリーとジョン。

忘れることのできない大切な二人です。
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by dance_littlerock | 2013-01-19 00:17 | ニュージーランド
短大一年生の秋、ニュージーランドのファンガレイという田舎街に留学しました。留学前にホームステイ先が決まり、「よろしくお願いします」的な手紙を前持って書きましたが、待てど暮らせど返事は来ませんでした。

事前情報で築92年の家と聞かされていたので、うちの母は「ぽっとん便所を覚悟しときや。」と言いました。

どんな田舎で暮らすことになるんだろう。視力が良くなるかもしれない!と乗り込んだファンガレイは、それはそれは綺麗な街でした。

ホストファミリーのマリーとジョンが学校まで迎えに来てくれました。心臓が高鳴りました。マリーは30才、ジョンは36才、共に同じ小学校の先生でした。
驚いたことに二人は、まだ同棲中のカップルであることがわかりました。クラスメートのホストファミリーのうち夫婦じゃないのは、マリーとジョンだけでした。

マリーとジョン、そして、猫のトーマスとの三ヶ月間の暮らしがスタートしました。
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家は92年とは思えませんでしたが、殺風景な家でした。後から知ったことですが、マリーとジョンは数ヶ月後に結婚し、二人でイギリスへ数年滞在しに行くため必要最小限の暮らしをしていたと思います。私の部屋は、裸電球がひとつぶら下がってあり、ベットと机があるだけでしたが、トイレも水洗だったので、安心しました。
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by dance_littlerock | 2013-01-19 00:15 | ニュージーランド

食べまくりのお正月

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お節料理いっぱい食べたよ。でも今日は、
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イタリアンを食べに来たよ071.gif
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ぐーすか寝てるうちにパパとママは、モグモグ食べたよ003.gif
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パスタもピザも美味しいけど、お次はなぁに?
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開けたら起きちゃった019.gif
おはよう!
キノコがたっぷりのチキンでした053.gif
パパがネットで見つけてくれたレストランとても美味しかった!!

食べまくりの2013年の始まりでした024.gif060.gif
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by dance_littlerock | 2013-01-13 16:35 | 私日記