旅行日記


by dance_littlerock
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  2005.MAY.3

  早朝4時半に起きる。三日月が見える夜明けの中、バックパックを背負い、トラムに乗り、フランツヨーゼフ駅へ向かった。
そこで、ブダペスト帽をかぶった日本人のおっちゃんに出会う。おっちゃんは、1965年ごろ、30カ国をヒッチハイクで周ったらしい。すごい人だけど、気さくで喋りやすいおっちゃんだった。
私がおばちゃんになっても、こんな風に旅できたらいいな。けど、その時は独りはいやだな。旦那さんと二人でこんな旅したい。おじさんになっても、そんな事してくれる男の人と、私は出会えるんだろうか。

  6時発の鉄道に乗る。WIENとは暫しのお別れ。オーストリアの景色が、途中からだんだんと変わってくる。どこか田舎になった気がして、家々が少し貧しく見える。ガードレイルなどが錆びている。ドイツほど整備されていないのが、一目瞭然だった。

どこかの駅を通過する。その駅名は、今までのドイツ語とは違ったまるでロシア語のようなアルファベットとその並び。いよいよ私たちは、チェコに入国したんだ!かっぱえびせんを食べながら、Aちゃんとその感動を分かち合う!私にとっては、今回の欧州旅行で4カ国目。旧社会主義国に初めて入国する。ワクワクしてきた!手にしたかっぱえびせんを見ながら、「やっぱり旅は、やめられない止まらない♪」と歌ってみた。

私たちが座っていた2等席のコンパートメントに、男性3人が現れた。一人はチケットを確認する人、もう一人は、私のパスポートを見てパソコンに何やら打ち込んでいた。最後の一人は、私のパスポートにチェコの判子を押してくれた。この男性らの顔が、まさに東ヨーロッパの顔だった。ロシアっぽい雰囲気。こんな風に列車の中で、人間の顔を見て、国が変わったことを実感できるなんて、陸続きの旅は面白い。

  乗換駅のチェスキーブテヨビッツェに到着。ブタペスト帽のおっちゃんも、私らと同じくチェスキークルムロフに行くらしい。1時間近くこの駅で待たないといけなかったが、どこにいてもこの駅は、怖い雰囲気だった。

いよいよチェスキークルムロフ行きの列車に乗り込む。日本人の姉妹がいた。他にも西洋のバックパッカーが違う車両にたくさんいた。1時間ほど経った時、車掌が現れた。私の前の家族連れと話をしている。イーストヨーロッパパス(鉄道の券)を手元に用意する。
が、しかし突然、前に座っていた家族の母親が、私のところへ来て、片言の英語で、「コノデンシャ・・オリル。チェスキークルムロフ・・・イカナイ。バスニノリカエル。シャショウオシエル・・・。」「えっ?何?」訳が分からなかった。
でも、とにかくこの列車は、問題があって目的地へ行かないってこと?斜め前に座っている日本人姉妹も不安そうだった。また突然、車掌が私を呼んで「こっちこっち」と言う。訳も分からず付いていくと、同じく訳がわからなさそうな顔をした西洋人の老夫婦がいた。
どうやら、この英語の出来ない車掌は、私に、この列車の問題を彼らに通訳しろと言っているようだった。ようやく全てが分かってきたので、老夫婦に話しをした。カリフォルニアから来たこの夫婦の奥さん(ジョアンナさん)は、とても素敵な女性だった。ゆっくりとした英語で、「Thank you」と言ってくれた。私の片言の英語で、通訳が出来て、人の役に立てたことが、すごく嬉しかった。

  チェコは、ドイツやオランダといった西ヨーロッパと違うと実感した事件だった。ようするに線路に問題ありで、その間、列車が走れないから、わざわざバスに乗り換えないといけなかった。列車の進むスピードも、ドイツの列車などと比べると、とても遅いし(だから今朝は4時半起きしないといけなかった。)、列車や駅の設備も格段に劣る。
こういうとチェコの方に大変失礼だが、こんな個人旅行だからこそ、東と西の違いが分かり、チェコという国がまだ発展途上国に属するんだ、と身をもって体験でき、旅人としてはこの国の実情を知ることが出来て、本当に良かった事件だった。もちろん、その時は、焦ったが・・・。

  チェスキークルムロフに到着した。ジョアンナさん夫婦と日本人姉妹と乗り合いタクシーに乗り、町の中心に行く。姉妹の泊まるペンションに荷物を置かしてもらって、まずは、チェコ名物クネドリーキ(蒸パンのようなもので肉料理の付けあわせ)を食べる!うん、美味しい!腹ごしらえをしたところで、Aちゃんと観光に繰り出す。クルムロフ城を含む街並みは、世界遺産になっていて、数年前にさいとう夫婦の「旅でバビデブー」という本を読んで以来、ず~っと来たかった街だった。この本の表紙が、この街並みの景色なのだ!西ヨーロッパとは違う建築様式の建物・城内部を歩くと、城の展望台に着いた。そこで見た景色は・・・

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  す・すばらしい。の一言だった。それはまさにさいとう夫婦の本の表紙そのものだった。ザッハートルテを食べたのとと同じく、またひとつ夢を叶えれて本当に嬉しかった。この景色は、何時間見ても飽きないような気がした。本当に素晴らしい街並み。さすが世界遺産だー。朝4時半に起きたかいがあったなあ、と横で黄昏ているAちゃんと感動を分かち合った。

  夕方、プラハ行きのバスに乗り込んだ。本当は列車で行く予定だったが、今朝チェコの鉄道事情を実感しただけに、バスに急遽変更した。バスは狭く、バックパックを置くスペースがなく困った。チェコは、山は見えず、大草原ばっかりだった。途中の街は、あまり綺麗ではない。殺風景な街並みばかりだった。

プラハが近づくと、ビルが見えてきた。バスを降りて、地下鉄に乗ろうとするが、券売機の使い方がまったく分からない。チェコの人は、英語が出来る人が少なく、尋ねてもしっかり回答を得るのは一苦労だった。
同じく横で困っているロシア人の女性二人(ルドミラさん&タチアナさん)と話しをする。彼女らも私たちと同じくフローレンス駅に行きたいらしいので、一緒に行くことにした。旅で困っている時、仲間が出来ることほど心強いことはない。なんとか地下鉄に乗り込む。私がアジア人だからだろうか・・・みんなにジロジロ見られる。乗客に笑顔はない。チェコの地下鉄は、とても深いところにあって、そのせいかエスカレーターのスピードが異常に早かった。笑けるくらい早かったけど、足の悪い人や老人にとっては笑い事ではないなぁ、と思った。

フローレンス駅から、宿があるエリアに行く道が分からなかったので、ロシア人のルドミラさんが尋ねてくれた。「あれ、チェコ語できるんだぁ」と思ったら、ロシア語とチェコ語は似てるので、少しは通じるらしい。いいな~、日本語なんてどこの言語とも似てない。島国のデメリットを痛感した。

ようやくバックパッカーに着いた頃には、日が暮れていた。相部屋では、この旅で初めて男の子と同部屋だった。いよいよ明日は、プラハの魔法にかかりに街へ出掛けよう!すご~く楽しみだ。

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by dance_littlerock | 2005-07-23 18:02 | ヨーロッパ紀行
  2005.5.2(Mon)

  今日で一人旅とはお別れ。日本から京都出身の親友Aちゃんがやってくるので合流する。Wienのバックパッカーで待ち合わせするなんて、梅田のBig Manや、難波のロケット広場で待ち合わせするのと訳が違う(笑)。事前に決めていた宿に、前日から宿泊した。朝、6時50分に起きて、ドキドキしながら受付のある1階へ降りた。残念ながら、Aちゃんはまだ居なかった。用意をして30分後に降りたら、見たことある鞄に「Kl-WIEN」のTagが付いてあり、「As know as」の袋が!!!間違いない、無事に着いたんだ(嬉)!「おいでやす。今どこ?」とメモ書きを残し、再び部屋に戻った。残りの用意をしてから下に降りると、Aちゃんがいた!!涙の再会☆こんな異国で携帯もないのに待ち合わせが出来て、二人とも感無量だった!最強の旅の仲間と合流し、私たちの旅が始まった。

  まずは、ハプスブルグ家の夏の離宮・シェーンブルーン宮殿に行く。ウイーンの人は旅人に「シェーンブルーン宮殿を見なければ、ウイーンを語れない。」とよく言うらしい。マリアテレジアイエローの宮殿は、それはそれは見事だった。内部を見学したが、40間くらい部屋があり、私とAちゃんの憧れのお姫様エリザベート(愛称シシィー)の寝室などが見れて、とても感動した。つい100年前まで、彼女はここで生活していたんだな、と思うと信じられなくて少し変な感じがした。私たちがオーストリアに来れて、宮殿内部を見れるなんて、この100年で時代は大きく変わったんだなあ、という事を実感した。エリザベートは、ハプスブルグ家の皇太子フランツ・ヨーゼフの妃で、そのもう少し上の代には、あの有名なマリーアントワネットがいる。日本では、マリーの方が圧倒的に有名だが、オーストリアでは、どこを観光していても、このエリザベートのゆかりの地にたどり着くし、お土産物屋さんには、彼女のグッズが多く売られている。彼女は、旅と写真が趣味だったらしい。それがまた共感できた。

  その後、シュテファン寺院・アウグスティーナ教会(結婚式の予行演習をしていた、素敵!)・スペイン乗馬学校・ユダヤ博物館を観光する。そして、そして!念願のホテルザッハーに行った!7年前にさいとう夫婦の「バックパッカーパラダイス」を読んで以来、彼らのようなリアクションで、ここの本場のザッハトルテを食べることが夢だった。その本は、漫画なので食べた時の彼らの様子が鮮明に描かれていた。ようやく7年越しの夢が叶う!嬉しいぃ~!運ばれてきたオリジナルザッハトルテの横には、生クリームがたんまりと盛られていた。まずは、トルテだけをいただく。(さいとう夫婦の顔を思い浮かべながら・・・)パクっ。「んんん!」驚いた!これは驚いた!なぜなら・・・めっちゃ酸っぱくて全くもって美味しくないのだ!「ええ~まさか・・」ショックを隠しきれなかった。7年越しの夢が一瞬にして崩れ落ちた。
  しかし、神は私を見捨てはしなかった。うなだれたまま二口目をいただくが、今度は、生クリームをたっぷりつけて食べてみた。するとこれはどういうことだろう!あの酸味が一気に消え、チョコと生クリームが絶妙なハーモニーを奏でて、最高に美味しくなった♪あぁ~、これこそが、さいとう夫婦がしたリアクションのもとなんだ~と思った。かなり感動させていただいた。ホテルザッハー、パティシエ、そして、さいとう夫婦、美味しいケーキをありがとうございました。

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by dance_littlerock | 2005-07-09 19:25 | ヨーロッパ紀行
 2005.4.29

  Salzburgでは、Yo-Ho International YHAに宿泊した。12人部屋のドミトリーで、私以外の10人はアメリカ人で、残り1人はスペイン人だった。テキサス出身のジェニファーは、3ヶ月かけて欧州を旅をしていたが、アルバイトをしてお金を貯めては、また旅に出る・・・そんな生活を繰り返しているらしい。アメリカ人のこんな洒落た子でも、私と同じようなことを考えていると思うと、なんだか嬉しかった。彼女の大きな黒いバックパックが長旅を物語っていた。3人組のワシントン出身の若者は、無愛想だったが、私がくしゃみをすると、3人そろって「Bless you」と、言ってくれた。嬉しかった。

  溜まった衣類を洗濯しに、地下のランドリーへ行った。2台の洗濯機・乾燥機の横の壁には、今までココに泊まった人が書いた・彫ったであろう沢山の落書きがあった。ここのYHAの歴史が感じられたし、旅人の旅の途中の気持ちが読み取れた。その中で、ものすごく心に残った落書きがあった。
  『Keep backpacking』・・・この一言に目を奪われてしまった。なんて素敵な言葉なんだろう。もしかしたら違う意味で書いたのかもしれないが、私は『バックパッカーで旅をし続けろ!』・・・こう捉えた。時間的にも年齢的にも、そして精神的にも、それをし続けることは、これから難しくなるだろう。でも、この落書きを書いた人も、そういう旅に対してのマイナスな気持ちを少しは感じながらも、バックパッカーで旅を続けることの楽しさと素晴らしさを、ここに書くことによって、再認識したに違いない、と思った。名もなき素敵な旅人さん、心に残る落書きをありがとう。  

  夜、世界一周をしている途中の早稲田の大学生Yくんで出会う。ロシアから入り、これからヨーロッパを一周して、中東・インド・中国を周るらしい。あの沢木耕太郎にも、手紙を出した事があるらしい。そんな話を聞くと、いろいろ感化されされるものがある。お昼に目にした「Keep Backpacking」という言葉も頭に浮かぶ。後に彼のホームページを見ると、「20代を全速力で駆けぬけるために旅に出る!」とあった。思い返せば、18歳で初めてNew Zealandを訪れて以来、私も旅に人生をかけてきたところがある。いや、ほとんどそればっかり考えてきたかもしれない。私の20代が終わるまで、あと1年半。それまで私も全速力で駆け抜けてみようかな・・・と思った。Yくん、ありがとう。
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by dance_littlerock | 2005-07-09 18:01 | ヨーロッパ紀行