旅行日記


by dance_littlerock
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カテゴリ:ニュージーランド( 42 )

それから私はNZ最大の都市オークランドに移住しました。帰国に向けて、愛車を売りに出すためです。

私のフラット(シェアハウス)
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「For Sale」と書いた紙に愛車モカの写真を貼って、最初は欲張って高値で売り出しました。日本食スーパーなどに張り出しましたが売れなくて、値下げしたけど売れずにまた不眠気味になりました。出国の時期は刻々と迫ってきます!

その売却代で東南アジアを周遊するつもりなのです!日本で営業マンだった友人に売るコツを聞いたりして頑張っていると、だいぶ値下げしたけど、関西出身の子が買ってくれることになりました。

いざそうなると高く売りたい欲よりも、モカを可愛がってほしいという思いに変わりました。モカを引き継いでくれてありがとう!

私のNZでの走行距離は、半年間で1万2千キロでした。親戚に「1200キロの間違いちゃうの?」と言われたけど、いえいえ。1万キロ以上もよく頑張って走ってくれました。

◇◇◇◇
NZ出国少し前にM子とサモアへ旅行しました。出国前に出国しちゃった!

サモアは暑くて暑くて死にそうでした。日焼けというか肌が焦げたような色で日焼けするんです。男性もスカートです。暑くてズボンなんて履いてられません。

でもその男性が格好良くて、すれ違う男性みんな私のタイプでした。私はサモア風の顔が好きみたいです。小錦関のご両親もサモア出身です。

レストランでおじさんに声をかけられました。翌日おじさんのオフィスに遊びに行くと部下の男子たちと一緒にランチに連れて行ってくれました。
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後でわかりましたが、どうやらコンパのようでした。恋は実らなかったけど、良い人たちで楽しかったです。おじさんご馳走様でした〜!

サモア出国前夜、野外のゲイバーに行き、ビールを飲んで、格好いい男の子たちと踊ったり、楽しく過ごしました。ルンルン

しかし、翌朝のことです!!
上から下から、私は大変なことになりました!ビールを飲まなかったおかげか何ともないM子に連れられて空港へ行き、ビニール袋に顔を突っ込み、ゲロを吐きながら金属探知機のゲートをくぐりました。こんな人、怪しいやろ!!(笑)

やっと着いたNZでも、しゃがみながら入国手続きをして、知り合いに迎えに来てもらいました。

こんな時、お粥や豆腐が食べたいけどないし、豆腐を食べに韓国料理屋に行くと、チゲ豆腐で辛いし、この頃は本当に辛かったです。大阪のおばあちゃんに電話すると、私の第一声で調子が悪いのを察してくれました。なかなか治らず、でもついにNZから出国する日がやってきました。

楽しすぎた1年間のワーキングホリデー!最高でした!最終週はこんな日々でしたが(笑)、こんな楽しく価値ある1年があるなんて、、、夢のようでした!ニュージーランド大好き♡

◇◇◇◇
それから私はマレーシアとタイを1ヶ月かけて、友人とバックパッカー旅して帰国しました。

ピピ島
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アユタヤ駅
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実はちょうど同じ頃、、、
未来の旦那様もタイで旅行中でした。彼のタイ旅行の写真の日付を見た時はびっくりしました!同じような観光地を巡っていたので、どこかですれ違っていたのかもしれません。

この時から、彼と縁があったと思うと笑えます!23才の私たち。ここからちょうど10年後に大阪で出会うんです。
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by dance_littlerock | 2015-09-11 13:30 | ニュージーランド

24. 【キウイフルーツ】

ファンガレイでは懐かしい留学時代の先生たちと再会しました。ちょうど同じ短大の留学生がいて、先輩としてお話しすることになりました。こちらに来て車を買い、荷物と食料を持って、各地を転々と旅する話をすると、後輩たちは目を輝かせて聞いてくれました。

大好きだった先生たち
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今度はタウランガに移住しました。ここでキウイフルーツの仕事をゲットした私は、ユースホステルに住み、毎朝、何十キロも離れたキウイ畑まで、同僚を乗せて車で行きました。

生まれて初めての農業です。キウイフルーツには雄株と雌株があって、増えすぎた雄株をひたすら切っていくという仕事でした。広大な敷地で近くにはトイレもなく野ションをして(恥)、同僚はバングラデシュ人ばっかりだったので、彼らのお祈りの時間は1人で働きました。キツくてキツくて、私はあっという間に辞めてしまいました。

農家の人をほんまに心から尊敬します。キウイフルーツを食べるのにこんなに苦労があったなんて知らなかった。いま食べてる食材すべてですね。感謝して食べないとなぁ。

さて、愛車モカの車検の時期になりました。タウランガの車屋さんで見てもらうと、結構な値段を言われました。疑い深い私は「日本人やし女やし足元を見られて高く見積もられたかもしれん!」と思って、もう一件の車屋さんでも車検見積もりしてもらいました。
「 Not too bad...」と言いながら、おじさんが提示した金額は前と同じくらいでした。

このころの英語力は、自分の人生最大だったかもしれません。自信に満ち溢れていました。
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by dance_littlerock | 2015-09-11 09:43 | ニュージーランド

23. 【トンガリロ】

トンガリロっていう可愛い名前とは裏腹に、この国立公園には、1995年に大爆発した火山を含む山がいくつかあります。ちょうどその時、ファンガレイで留学していた18才の私は、アクティブ過ぎるホストファミリーにそこへスキーに連れて行かれる予定でしたが、大噴火のお陰で行けませんでした。行きたくなかった私はニンマリ。

それから4年後、ここでトレッキングをするためにやってきました。チョコレート数個と水だけ持って気軽に登山を始めたのですが、私たちが選んだルートは、実は上級者コースで、あわや遭難というくらいのトレッキングになりました。
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途中こんな景色が見えたので、もっともっとその先へという気分になり、軽装なのに山頂まで登ってしまいました。めちゃくちゃしんどかったけど、その爽快感ったらなくて、、、

でも登山って降りるまでが登山なのです。火山なので、石がゴロゴロしてて歩きにくいし、下山の頃には、力も使い切っていて、何度も転ぶし、身体のあちこちが痛くて、お腹が空きすぎてつらいし、だんだんと日が沈んでくるのも恐怖を感じました。

夕陽に染まり出す登頂したばかりの山
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ついさっきまであの山頂にいました。下山してもトレッキングコースなので、駐車場までは、まだまだ距離があり、真っ暗になっても歩き続けました。新月に近かったので、月明かりもなく、真っ暗でした。

やっと駐車場に着いた時の安堵感といったらなかったです。でも山には神様がいるなって感じるように素晴らしい登山でした。この頃「植村直己の冒険学校」という本に出会い、ニュージーランドのトレッキング文化も手伝って、登山にとても興味が出てきました。

翌日、ものすんごい筋肉痛になったのはいうまでもありません(^_^;)さらには足の爪が剥がれてました。

足を引きづりながらも旅はまだまだ続きます!バックパッカーやYHAに泊まりながら、ロトルア〜ファカタネ〜ギズボーン〜コロマンデルなどを周りました。

ニュージーランドを車で旅しているとよくこんな光景に出会います。
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羊の群れが通せんぼして通れないので、気長に待ちます。
牛の群れの時もありましたが、特に雄牛の時は体当たりしてこないか不安で結構な恐怖です!
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by dance_littlerock | 2015-09-10 15:27 | ニュージーランド

22. 【ワイタンギデー】

1月末、バックパッカーで同僚だったHちゃんとネルソンを出発して北島へ向かいます。ピクトンから夜便のフェリーに私の車を積んで、対岸の首都ウェリントンへ向かいます。フェリーでは旅仲間だったKちゃんも居ました。到着後、チャリダーの彼は夜明けのウェリントンの街へと旅立ちました!

私たちがこの時期に北島へと渡ったのは、2月6日にワイタンギを訪れることが目的でした。1840年この日この場所で、原住民マオリ族とヨーロピアンが和解する条約を結び、歴史的な日となりました。行かねば!!

何ヶ所かで泊まりながら、ついに北島北部にあるワイタンギへ到着しました〜!念願だったので嬉しい!様々なイベントがあるなか、もっとも感動したのはコレ!
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何人ものマオリ族の方がカヌーに乗って、沖合でハカを歌います。最後に全員が舌を出して、こちらを向いて威嚇ポーズをしたのは圧巻でした。超格好良い!!うっとり釘付けになっている私です。

そのあとHちゃんとバイバイした私は、4年前にホームステイしていたファンガレイの家族宅へと向かいました。

あれから彼らは、イギリスに働きに行きポンドを稼いだせいか、4年前とは違い、車も良くなっていたし、海沿いに別荘も買っていました!びっくり(^。^)
もうひとつ大きく4年前と違ったことは、私の英語力です。この時点で、ワーホリ生活9ヶ月目で結構できるようになっていました。やっぱり英語ができるって素晴らしいです!!

別荘でパーティしたり、ウォータースキーをしたり、4年前と同じように超アクティブな彼らに色々と連れて行ってもらいました。ウォータースキーは、本当に難しくて、力のない私は全くと言っていいほど立てず、何度も海に飲まれました。もうヤダ!

それから旅仲間だったYさんと合流して、トンガリロ国立公園へ向かいます!

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by dance_littlerock | 2015-09-10 10:25 | ニュージーランド

21.【年末年始】

毎日一生懸命にバックパッカーのシャワー室とトイレの掃除に励みました。男子トイレも掃除するので、遠慮なく入ってノックすると、ドスのきいた声で「belonging」と返事されたりして(笑)、知らなかった英語の言い回しも勉強できました。

仕事仲間と一緒にご飯を作り、夜はバーベキューをして、夜中はクラブに行き、でもお酒も飲まず健全に楽しく青春してました!思えばこのワーホリ中、ほとんどお酒は飲まなかったなぁ〜

さて、1999から2000年になる時は世界中で大混乱が起きるんじゃないかと噂でした。銀行のATMが使えなくなるとか。でも私たちは、ネルソンで過多な情報に流されることなく生きていたので、特に気にすることなく海沿いのクラブで開かれるカウントダウンのパーティで出掛けて、世界中からの旅人と踊りまくってミレニアムを迎えたのでした〜(^_^)v

こちらに長く住んで思ったのは、日本は他国に比べ、物や情報が多い。だからあらゆる欲が出やすい。こちらで生活して、必要以上に情報や物を持たないライフスタイルがとても心地が良かったです。
さらに日本人がいかにお洒落に気を使い、お金をかけているかがわかりました。ここではメイクも不用でした。

◇◇◇◇
新年早々、同じホームステイ先だったマレーシア人のビーと、エイベルタスマン国立公園にトレッキングに行きました。ハット小屋(宿泊先)を決めておいて、食料、水、着替えなどをバックパックに詰め込んで、数日間でエイベルタスマンを徒歩で横断します。
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海沿いを歩くので、満潮干潮の時間を調べて歩きます。これがまたしんどいのなんのって。実は私たちは、辿り着けず、ウォータータクシーに迎えに来てもらいました(^^;;

◇◇◇◇
バックパッカーでの住み込みでの仕事を終えた後は、北島へ一緒に旅行したミャンマー人の友人に紹介されて、ミャンマー人家族のシェアハウスでお世話になりました。

素晴らしい人達でした。ご夫婦は自国で大変苦労されて、今この新天地で頑張っておられます。心の優しさが半端なくて、でも芯がしっかりしてて、大好きでした。

ミャンマーの本を見せてくれたり(ミャンマーの字をずっと見ていると気持ち悪くなった ^^;)、アウンサンスーチーさんの話をしてくれたり、とても勉強になりました。
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なのに私はこの家で大失態を犯してしまったのです!

ある日、家族がいない時、インスタントのパイを温めようとレンジに入れました。恐ろしい事に英語を読み違えて、袋ごとチーンしてしまったのです。
テレビを見ていると異常に焦げ臭い匂いがします。
「え?」
キッチンに行くとレンジから、もくもくもくと煙が立ち上っているではありませんか!!私は大慌てでレンジを消して、家中の窓を開けました!!

火こそ出ませでしたが、キッチン上部の白い壁紙がうっすら茶色になってしまいました(涙)。椅子に乗って背伸びをして、必死に雑巾で拭いて拭いて拭きまくりましたが、壁紙が白からアイボリー色になってしまいました(涙)

先にパパさんが帰ってきたので、事情を説明しました。「いいよ」と言ってくれました(涙)パパから事情を聞いたママさんから電話があったので、謝ると、「心配しないで大丈夫よ」と言ってくれました(涙)

私は2人の寛大な心に感動しました。家を出て行く時、ミャンマーの素敵な壁掛けをくれました。それ以上に素晴らしい心をあの人達からもらいました。いつの日か必ず再会したいご家族です。


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by dance_littlerock | 2015-09-07 09:14 | ニュージーランド
2ヶ月の南島への旅を終えて、ネルソンに帰ってきた私は、行きと違いマイカーに乗って帰ってきました。一皮向けたというか益々旅慣れて逞しくなった私、以前働いていたユースではなく、バックパッカーで住み込みで働くことになりました!

ここでは日本人やヨーロッパの若者が沢山働いていました。その日本人の中には、ニュージーランドへ来る前に大阪のワーホリセンターで出会ったM子がいたのでびっくり。偶然すぎる!
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私はM子の仕事を引き継ぎ、トイレ&シャワー室の掃除当番として働きました。

大変な仕事だったけど、多くの外国人(西洋人)に囲まれて刺激的だったなぁ。ヒッピーも多かったし、ここには書けない悪さしてる人も多かったけど、それがまたファンキーに思えて、本当に楽しかったなぁ〜!

住み込みの私らの部屋は男女ミックス。

こんな男前のドイツ人と同じ部屋で寝てました。とても優しい子。毎朝、わきに制汗剤をヌリヌリする姿をこっそり見てた(*^^*)キャッ
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フランス人のセリーヌ。とても素直でまっすぐな人。中国人と日本人は同じ言葉を話すと思っていた天然さん!胸が小さいからインパクトを出すために乳首にピアスしてた。そんな事しなくても、充分素敵なのに!お洒落してよく一緒に踊りに行ったね。
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そんな仲間たちと一緒に1999年のクリスマスをお祝いしました。スタッフ同士でプレゼント交換したり、宿泊者たちも全員でご飯も食べました。私たちが作った巻き寿司は、食べる前から1番人気で「スーシ!スーシ!」と食べる気満々の外国人もいました(笑)
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寝食を共にし、一緒に働き、夜な夜なクラブに踊りに行った仲間たち。一生の宝です。
ちなみにそのナイトクラブの名前がこのBlogの名前「Little Rock」でした。



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by dance_littlerock | 2015-09-03 14:08 | ニュージーランド

19.【南島の旅】

キャシドラルケーブという干潮時にしか入れない洞窟。私のいる所は、なんと満潮になると海になるんです!
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必ず干潮満潮を念入りに調べて、駐車場から洞窟までの歩く時間なども考えて慎重に行きました。ここはマオリの人たちの聖地らしく、私が滞在している間になんとこんな大きな石で通せんぼされてしまいました!
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その間をすり抜けてまで、1人でケーブまで行った私は、なんとまあ勇敢だったなぁ。38歳の今では怖くて行けないよ。

この辺りは、ニュージーランド南島の中でもかなり南の方です。南極に近いといえば分かりやすいでしょうか。初夏の11月でしたが、まだまだ寒い日が多かった記憶があります。

この辺りは自然がたくさん残っていて、観光客も少なく、車で自由気ままに旅を続けました。
Yの字をした半島のある海岸線、あの海の先は南極大陸ですよ!
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イギリスと雰囲気が似ているヨーロッパのようなダニーデンという街にも長く滞在しました。
友人と泊まったダニーデンのユースホステルは、元病院だったようで、おそらく手術室であったであろう部屋も客室にされていたので、お化けがでると有名でした。夜お手洗いに行くのが怖かったので、一緒に泊まっていたYさんに付いてきてもらいました。

いつも自炊をしていましたが、ユースに泊まっていた香港人男子に「宇多田ヒカルに似てる」と言われ喜んだ私です。当時、宇多田ヒカルといえば、若くして歌唱力抜群で作詞作曲もできる凄い子として、有名になったばかりでした。

友人たちとシグナルヒルという夜景が綺麗な所へいきました。自転車で世界一周しているHさんが「宝石箱をひっくり返したみたいだね。」と柄にもなく洒落た事を言ったのが笑けました。でも本当にその表現通り素晴らしい夜景でした。

ダニーデンには、アルバトロスで有名な半島がありました。そこはアルバトロスのコロニー(繁殖地?)でたくさんの野生のアルバトロスをみることができます。鳥大好きな私は、カッコ良い彼らの姿に感動しました。

さて、アルバトロスって日本語で何というでしょう?

なんと、、、「アホウドリ」ですよ!

英語では「アルバトロス」って、めちゃくちゃ格好いい響きなのに、日本語のなんと失礼なこと!一体誰が名付けたのでしょうか?(笑)

ダニーデンでは、「クメール」というカンボジア料理屋さんに通いました。何度行っても美味しくて、友人が食べているのも美味しそうで、次に行って前回友人が食べたものを食べると、また新しいメニューを食べる友人のが美味しそうで、またまた行ってしまうという無限のループにはまってしまいました(笑)こんなに美味しいカンボジア料理というものは、後にも先にもここだけではないでしょうか。

その後、クライストチャーチでも長く滞在しました。宿泊先はもちろんバックパッカー。フリーフードといって、旅人がいらなくなった調味料などを置いていった自由に使えるものは、どこでもよく目にしたけど、ここではフリークローズと言って、旅人がいらなくなった服まで置いてありました(^O^)

フリーフードにはよくお世話になりました。キッコーマンやヤマサの醤油などは人気商品で、また顆粒出汁などもあれば、我々日本人にとっては有難いことで、頂いてました。

クライストチャーチでは、ネルソンYHA時代に知り合った仲間とよく遊びました。マクドのトイレで手を洗っている時、白人のお姉さんに「なぜ日本人がいっぱいいるの?」(国へ帰れよ的に)と意地悪そうに言われました。わからない、と言って逃げましたが、この時は仲間がいて気分的に救われました。

この頃、つるんでいた日本人仲間の多くは、自転車でニュージーランドを回っている人が多くて、そんな大冒険の話を聞くのがとても楽しみでした。チャリダーと呼ばれる彼らは、朝早くに宿泊先を出て、1日100キロ以上もアップダウンのあるニュージーの道を走るなんて、なんと体力のいることでしょう。

全部の荷物を自転車に取り付けて颯爽と走るHさん。世界中をこれで周っています。
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ニュージーランドの後は、Yさんも一緒にタイで再会することになります。元気なおじさんです(^O^)

Sくんのホームステイ先にみんなでお邪魔させて頂き、私が率先して肉じゃがを作ったり、クリスマスパレードを見たり、楽しい時は瞬く間に過ぎていき、いよいよ古巣のネルソンへ帰る時期になりました。

帰り道、日本人が経営するという温泉地へ立ち寄り、久しぶりに湯船に浸かりました。といっても、さすが外国、日本の温泉地とは違ったけど。

車がネルソンへ近づくと、ネルソンのFMが入るようになりました。いよいよ大好きな街に帰ってきました♡
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by dance_littlerock | 2015-09-03 10:57 | ニュージーランド
車でニュージーランドを旅する私。なにせ古い車、途中の田舎道で故障したら大変なので、毎回エンジンオイルを点検したり、1人でジャッキで持ち上げてタイヤ交換をしたりと、日を追うごとに逞しくなっていきました(^-^)

ある時、最南端辺りにある綺麗なバックパッカーに泊まりました。大きな町からは離れていて、一番近い町にも小さな日用品屋さんしかないような所です。NZらしい羊がたくさんいる緑に囲まれたバックパッカー、車だからこそ行けた所。宿泊者は、NZを旅するヨーロッパ人などが多く、ただただゆっくりと本を読んだりして過ごしています。
私はその環境のとりこになってしまいました。

リビングルームからの景色
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私は迷うことなく、オーナーのおじさんにここで働かしてもらえないか、聞いてみました。1人でバックパッカーを切り盛りしていたおじさんは快諾!やったー(^o^)

給料はなく、宿代が入らない代わりに少し仕事をするエクスチェンジですが、私はこの素晴らしい環境のもとで働くことに喜びでいっぱいでした。

最初の仕事は、リビングルームの大きな窓を拭くこと。雑巾ではなく、濡らした新聞紙と乾いた新聞紙で交互に拭いていきます。

そしてベッドメイキング。小さなバックパッカーで個室(ダブルベッド)が2つと、ドミトリー(共同部屋)が2つでした。

ある日、隣接する家に住んでいるオーナーにご馳走を作ってもらいました。マッシュルームスープが最高に美味しかった〜!

料理も掃除も何でも出来るオーナー
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ある時、オーナーの家に行くと、男の人と足を組み合わせながらソファで寄り添っていました!私に見られても堂々としていて、逆に私が「キャ!」とドキドキしてしまった…(^^;;

オーナーには背の高い女っぽい彼氏がいました。私はそういうカップルを間近で見たことがなかったので、最初は焦りましたが、よくよく二人を知ると本当にお似合いで素敵なカップルでした(でも彼氏はずっと私に冷たかった。たぶん嫉妬?!オイオイ!)

ある時は私を誘って仲間たちと、海沿いの田舎街にある洒落たレストランへ連れて行って奢ってくれたり、なかなか男気のあるオーナーです。

ところがある日のこと、突然「エイミー、僕らは1週間クライストチャーチに行くから、宿の経営を任せたから宜しくね!」と言うのです!
「えーっ!!」という驚く私に女っぽい彼氏はオーナーに寄り添い得意顔です。
おのれ〜ψ(`∇´)ψ

宿の掃除などは簡単でも、宿泊者の管理(予約は電話。ヨーロッパ人と完璧に会話しないといけない!)や延泊などするなら次の予約は入れられないし、など細かな部分まで神経を使いました。

さらにオーナーは農場も兼業していて、私は羊の世話と、鶏たちの世話までしないといけませんでした!めっちゃ吠えて怖かった牧羊犬2匹は、隣の牧場主が面倒を見てくれることになりました。(私は犬が苦手)

ペットとして飼っている羊に粉ミルクをあげる私と、手伝ってくれた旅人
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この子らだけはなぜかペットとして扱われていたので、私にもすぐに懐いてくれました。可愛い。「ユキちゃん」と名付けました(もちろんハイジの影響)

鶏もたくさんいました。普段は放牧して、また時間になったらゲージに戻すように言われていたのですが、初日、時間になっても鶏たちはゲージに戻る気配はありません!あちこちへと歩いて行ってます。
柵もないし「このままずっと遠くまで行ってしまって、帰ってこなかったらどうしょう!」という不安でいっぱいになりました。鶏たちの安否が私にかかっています!

私は必死に鶏たちに呼びかけました。「お願い、ゲージに入って!お願いったら!」見かねたイギリス人の旅人セーラも一緒に手伝ってくれました。二人で鶏の鳴き真似をしてみたり、中腰で追い回し続けました。諦めかけた激闘の末、鶏たちが一斉にゲージに入るではありませんか!
「えー!こんな簡単に入るの?」

たぶん彼らに体内時計があって、勝手に戻るような教育がされていたようでした。
あ〜心底疲れた。鶏に弄ばれた日でした
(^_^;)

さらに大変なことは続きます。
ある日、ヒューズが飛んでしまいました!電気は付かない、トースターは動かない、お客さんは「洗濯機が途中で止まって困るんだけど!」と言うし、焦って私は電気関係を調べつくしますが、そんなもん分かりません!どーすりゃ良いのさ(;_;)

そこへ救世主がやってくるのです!あの吠えまくる怖い牧羊犬の世話のため、絶妙のタイミングで隣の牧場主が来てくれました。テリーマン似の彼がサラッと直してくれてヒューズ問題はあっという間に解決したのでした。
「Thank you very much!!」というと
「Okey dokey!」と笑顔で去って行きました。

私はこの頃からかなり英語が上達してきたと思います。ワーホリに来て半年。母から電話があり「ハロー、ヒルトップバックパッカー、エイミースピーキング!」と応答すると、その発音が流暢だったらしく、ビックリされました。





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by dance_littlerock | 2015-07-06 13:37 | ニュージーランド

17.【マイカーでの旅】

やっと見つけた!
妥協点はたくさんあるものの、「真っ直ぐ進んで右左に曲がってバックして、止まる車であれば何でも良い!」と言い続けていた通り、普通の車です!いくらで買ったと思いますか?

1981年式 シルビア (18才)
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変わっていた箇所は、
時速などの表示がデジタルで出る(まるでゲーセンで車のゲームしてる感覚です)
フロントライトがパカッと開くタイプ
壊れて開かないサンルーフがある
などなど。

値段は日本円で約70,000円
古いとはいえ安いでしょう?!(^-^)

まずはレイク・テカポへ。ここでもユース時代のお客さんと再会しました。ひとり旅の醍醐味は、旅先で友達ができやすいこと。

こんな標識をみて進みます。
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マウントクック、ワナカ、アレキサンドラ、クィーンズタウンなどなど、知り合いに会いながら、時には共に旅しながら、私は愛車「モカ」との旅を続けました。

「モカ」と名付けた理由は、当時ティムタムというチョコレート菓子のモカ味が大好きでよく食べていたから。

標識や地図を見て、ルートを確認します。とっても楽しい!
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どの景色も本当に綺麗なんです。ニュージーランド最高です!

なかでも1番綺麗だったのが、マウントクックへ向かう国道80号線。右側にはレイク・プカキ、正面にはマウントクックが見え、その壮大で美しい景色といったら…

車のためにトンネルを作ることはないので、穏やかなアップダウンを繰り返しながら進みます。

時には駐車してこんな写真をタイマーで撮ってみたり
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しかし、テアナウから有名な観光地ミルホォードに行こうとした時、車が壊れました!動かなくなっちゃった(涙)買った時には走行距離が18万キロだったし、色々ボロが出てくるのね(涙)

修理代が痛いけど、修理に出している最中に考えました。「ミルホォードに行く道は1番危ないと聞いた。神様が運転は危険だからやめときなさいっていう合図なんだ。」こう思って、ルートを変更して、ニュージーランド最南端にあるインバーカーギルへ向かいます。
この辺りでは世界を自転車で一周している人に会ったり、ユースで会ったことある人に再会したりしました。

それから英国風の街並みのダニーデンに行き、そこには世界一急な坂道が!
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こんな坂道沿いの家に住むなんて、自転車なんて絶対無理やし、車も停めるのも出発するのも毎回ビビるやろうし大変やな〜
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ユースホステルやバックパッカーでは自炊なので、醤油や塩や出汁などの調味料なども車の後部座席に置いて、旅を続けていました。バス移動では、持てる食料は限られていたので、やはり車は便利ですね〜。自炊では焼き飯をよく作っていたかなぁ。大好きなマッシュポテトを添えて。だからか1年で8キロくらい太って帰国するんですけどね(^^;;

ダニーデン周辺の後、私はニュージーランド最南端に近い人里離れた場所でまた働くことになります。

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by dance_littlerock | 2015-07-03 11:43 | ニュージーランド
ネルソンから長距離バスを予約しては次の街、次の街へと旅をしました。

ホキティカという街では、ユースで働いていた時にお客さんだったアメリカ人のメリと同じ宿でした。フロリダ出身の超イケてる50代のメリは、寝る前には必ずカーラーで髪の毛を何箇所も巻いていました。何人ものニュージーランド人のおばさんを見て来ましたが、ここまでお洒落な人とは出会わなかったので、さすがアメリカ人はハイカラです!
すぐに影響される私は、「私も寝る前にカーラー巻いて翌日の髪型を気にするお洒落なおばさんになる!」と早速誓いました(*^o^*)

ホキティカで有名なジェイド(翡翠)を見て回ったりして、メリとはその後、長い間、文通をする仲になりました。

メリとサヨナラした私は、もっと南のフランツジョセツにやって来ました。知っての通りニュージーランドは南半球になので、南に行けば行くほど寒くなります。

ここフランツジョセツは氷河ウォーキングが有名です。専用の靴と杖を借りて、ありったけの服を着こみ氷上を歩くツアーに参加しました。
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楽しいひとり旅だわ〜!
でも私には弱点がありました。そう、バス酔いするのです。このまま毎回バス酔いしながら、旅を続けるのか。

それとも…

ネルソンにいた頃から、何人か車を買って生活したり旅しているのを見て来ました。他人事やと思っていましたが、そう、私は一大決心をしました!

「車を買おう!」

そう閃いた私は、このまま南に進むのをやめて、一路東へと向かいました。最終目的地にしていたはずのクライストチャーチにもう行ってしまい、そこで車を買ってから再出発にすることにしました。

クライストチャーチには、ユース時代に知り合った日本人カップルがいたので電話で迎えに来てもらいました。

実は彼らは私が働いていたユースに洗濯物を忘れていて、私が送り届けたという経緯があり、ありがたいことにも恩を感じて頂き、「ぜひぜひ」と私をおうちに招待してくれました。彼らの家に滞在中になんとしても車を見つけて買おう!

クライストチャーチの観光案内をしてもらいつつ、車のディーラーが並ぶストリートで、何台もの車を見て回りました。ほとんどミッションで、オートマ限定免許の私のクルマ探しは難航したのでした(´Д` )

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by dance_littlerock | 2015-07-03 09:04 | ニュージーランド