旅行日記


by dance_littlerock
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カテゴリ:登山・冒険( 5 )

2013.6.1(土)

国立科学博物館へ関野吉晴さんの講演会にいって来ましたー!

夫と息子は、近くの上野動物園に行ってくれました。先々週に行ったばかりなんだけどね。動物好きやから良いよねっ!

先着100名でしたが、ギリギリ入れました!あ〜良かった!

ワクワクしながら関野さんの登場を待ちました。老若男女、様々な世代の方が来られていました。場所は、博物館内の講堂でまるで学校の講堂に集まってる感じで、なんだか懐かしい雰囲気(^_^)
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書籍の販売もしていて、買ったら公演後、サイン会に参加できるとの事だったので、1冊購入!関野さんの本は全部読んでみたいけど、何せ高いし(それだけの価値がある)、「小学生から読める!」と書いてあったグレードジャーニーのまとめのような本が1番お手頃価格だったので、それを選びました!息子が小学生になった時にプレゼントしよ〜っと(^o^)/

そんなこんなでワクワクが絶好調に達した頃、関野さんが登場されました。6年ぶりに見る関野さんです!感動です!
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すぐにゆっくりとお話しが始まりました。観客はすでにグレートジャーニーを知っているものとして(うんうん、みんなもちろん知っているに違いない)、南米や極東シベリアやアフリカやチベットなど、関野さんの主観でいろんな興味深い話をしてくださいました。

例えば、

関野さんが一番好きな場所は南米。理由のひとつに南米には世界のすべてがある。流域面積が最大のアマゾン川、長さ世界一のアンデス山脈、砂漠、パンパ、、、(これ以降、忘れた。メモ帳とペンを持参すべきだったわ。)

あまり知られていないけど、南米の太平洋側はペルー以下は全部砂漠

蜂蜜は森の聖霊の贈り物という民族の話

物を溜めこまない民族の話。日本人なら溜め込まないと不便だし将来が不安。彼らは助け合いの文化。将来や老後の心配は全くない。誰かが必ず助けてくれるとわかっているから。

特に関野さんが若い時から知り合いのマチゲンガ族は、
不動産以外の全財産は、関野さんのザックより少ない。
関野さんがパンツを3枚持っているのを知られた時、「なんで3枚も持ってるんだ。1枚で十分だろう!」と言って2枚パンツを取られたそうです(笑)。その代わりに彼らの数少ない所有物の弓矢をもらったそうです。

森の中で必要なものをそぎ落として生きている。
それは、動物、植物に対するすごい知識があるから可能なこと。

動物学者より植物学者よりもすごい知識。

森の中の足跡やちょっとした跡を見ただけで、それがどんな動物か、それがいつの足跡かわかる。

彼らは弓矢とかは使えるのに物を投げることできない。関野さんが投げたら、すごいとビックリされた。

子供の時からやってることとやってないことでは、全然違う。
(私も息子にいろいろな事を子供の時からさせようと思った!)


興味深いお話しは、会場にいる(たぶん)全員が引き込まれ、あっという間に1時間が経ちました。あ〜楽しい!

その後は、ギアナ高地、エンジェルフォール、パタゴニアなどの写真スライドを見せてくれました。

印象に残ったのは、南米の大きな湖の上を飛ぶ何十万羽のフラミンゴの大群でした。それを上空から撮影されてて、それはそれはこの世の景色とは思えないものでした。でも、この写真は1989年頃のもので、1993年に再び訪れた時は、湖は干上がっていたそうです。地球温暖化って、そんなわずか3〜4年で大きく地球環境を変えてしまうんだなぁと思って悲しくなりました。そしたら、30〜40年後なんて、どう変わってるの?

グレートジャーニーではそんな人類の生き残り大作戦も考えられています。過去だけじゃなく、もちろん未来も。

砂漠で生き抜く知恵。マイナス40℃の世界での生活。関野さん曰く、寒さと高度とは慣れだそうです。マイナス40℃のシベリアから冬の東京に帰国した時、0℃だったにも関わらず、「暑い!」と感じたそうです(笑)


最後に関野さんが私たちに質問をされました。

大昔、人類が誕生した時、他にもたくさん動物がいました。人類は、キバがあるわけでも強い爪があるわけでもなく極めて弱い動物で、さらにライオンやジャガーなんかよりも足も遅いのに、現在まで生き残った理由は何でしょう?と。


私は「火を使えるから?」とか思いました。


答えはもっと以前の根本的なもので、



「二足歩行」「家族」というものでした。

ワクワク!なんて楽しいお話しなのだー!!\(^o^)/



「二足歩行」

二足歩行することにより、両手があく、運搬ができる。

両手があくことにより道具が作れる使える、さらに精巧な道具を作る。そうすることでだんだん脳が大きくなる。

短距離なら他の動物にかなわない。二足歩行は長距離をゆっくり歩くのに適している。


私らの祖先はホモサピエンス。

ネアンデルタール人は強かったのにホモサピエンスに負けた。

それはなぜか?
ホモサピエンスは二足歩行になり声帯が下がった。ネアンデルタール人は二足歩行になっても下がらなかった。声帯が下がることで音の出せる域が広がり、コミュニケーション力が上がった。周りと協力できる。助け合える。

人間が二足歩行になり立つ、背が高くみえる。それが集団でいると怖く見えて、動物も襲えない。


「家族」

弱い人類が生き残った理由のもうひとつは、家族がいたから。
(なんと良い話なのでしょう!!)


多産の人類は生き残った。
人類には父親がいる、複数の子供をいっぺんに育てるから必要だった。

女、男ともに相手がいることのメリットある。そして思いやりが生まれる。

ゴリラやチンパンジーは5年に一度しか出産しない。父親はいない、交尾したらどっかいく。

猿が劣っているというわけでは決してない。猿は進化の頂点。人類は特殊であった。


〈では猿との違いは何か?〉

ライオンや豹の食べ残しの肉を猿はそこで食べる。
人類は、家族のもとに持ち帰ってから食べる。人類は助け合って生きてきた。

家族というのは、協力関係をもって始めて家族とよべる。

鳥には家族がある。

猿の仲間では人間だけが、協力関係のある家族。


そんな太古の昔から、人類は協力しあい助け合い、家族が支え合って生きて来たんだね。だからホモサピエンスの時代から今日まで繋がり、私もここにいるんだ(^.^)

大袈裟なんだけど、でも事実なんだよね。関野さんのこんな話を聞いていると無性に近くの動物園にいる夫と息子に会いたくなりました。


【上記に書いた関野さんの言葉は、私が聞いて覚えていることを自分の日記として、ここに記しました。なので、間違っている言葉やニュアンスなどもあると思います。】



グレートジャーニーとは、アフリカで見つかった何万年前の人類の足跡が始まりです。

そこから私たちの先祖は、ゆっくりと時間をかけ、助け合いながら、ユーラシア大陸に渡り、ヨーロッパ方面へ向かった者、アジアに向かった者、オーストラリアへ向かった者、はたまた北米から南米へと渡った者がいました。果てしない長い距離と時間です。


公演後、関野さんにサインをもらいました。「この本、1才の息子が小学生になったら読ませるんです!」とお話しさせてもらいました。
すると横にいたスタッフの女性が「息子さんのお名前を書いてもらったら?」と親切な提案をしてくださり、息子の名前まで書いてもらいました!あがった私は、息子の名前の漢字の由来まで関野さんに話してしまいました(*^O^*)!そんなん関野さんは興味ないっちゅうねん!




それから夫に電話するも、まだ動物園で楽しんでいるとのことだったので、私は博物館内のグレートジャーニー展を観に行くことにしました!(^_^)v

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関野さんの話を聞いたところなので、余計に心から入り込めました。楽しい〜!

こんな素晴らしい企画や旅や考えをシェアして、教えてくださる関野さんに感謝です。そして私たちは、その知識を無駄にせず、今後この星に生き残るための物語(この特別展サブタイトル)をしっかり考えたり、後世に残していかないといけないのです。


グレートジャーニーの始まりであるタンザニアで見つかった何万年前かの人類の足跡のレプリカです。
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三人の足跡が見つかりました。研究者たちは考えました。これはどんな集団なのか。

大きい足跡。小さい足跡。そしてとても小さい足跡。


「家族」です!
お父さん、お母さん、そして子供。

どんな人がどんな風にして歩いていたのか、研究者たちが一生懸命、でも楽しく考えている場面の映像が流れていて、それがとても面白かったです。答えはわからない、でも想像する楽しさ!きっとそれが正解だろうと思う期待であり喜び。

研究、想像を超えて作られたのがコレです。ナイナイの岡村さんがモデルになったそうです(笑)
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あくまでも想像なのですが、こんな風にして、家族で協力しあい歩いて行ったんでしょうね。とても感動しました。


あ〜!とても満喫できました!楽しかったし、勉強にもなったわ!関野さんはこれからまた南米に行くみたい!すごい人やわ!ありがとうございました!


上野動物園前で夫と息子と合流しました。長い時間、ママを自由にしてくれてありがとう!おかげで好きな世界に没頭できたよ(^o^)/


三人で歩いていると私たちがさっきの猿人に思えて来ました(笑)。嬉しいです。私たちも協力しあえる助け合える家族でいたいです!


猿3人家族は、アメ横で魚など買い物をして帰りました。
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by dance_littlerock | 2013-06-03 15:21 | 登山・冒険

地球

昨日2012年5月22日に東京スカイツリーが開業しました。あいにくの雨にも関わらず、なんと21万人もの人が集まったそう。

その東京スカイツリーは墨田区にあります。

墨田区といえば、私が尊敬する関野吉晴さん(探検家・人類学者・医者)の資料館があって、東京に引っ越してから行きたいと思っている場所の一つです。
ただうちからのアクセスがあまりよくなくて、まだ行けてません。東京スカイツリーに行きがてら、関野さんの資料館にも足を運びたいなと、昨日のスカイツリー開業の報道を見て思いました。

その関野さんに一度お会いしたことがあります。母と一緒に関野さんの講演会に行きました。もう5年も前の事。その時の日記があるので、このブログに載せておこうと思います。かなり感動したので


長文です。


『関野吉晴さんの見た地球』


2007年10月22日

母親に「誕生日祝いに何がほしい?」と聞かれ、「地球儀!」と即答してから数週間、昨日一緒に出かける用事があり、ようやく買ってもらうことができた。それはアンティーク調の地球儀なので小学生のころ持っていたものとは雰囲気が違う。それでも、地図が描かれた球体が発する同じ魅力に、小学生の頃と同じようにすぐ取り付かれてしまった。


昨日、関野吉晴さんの講演会を聞きにJICA神戸に行った。母親が新聞の小さなイベント欄にあった広告を見つけてくれ、二人で申し込みをした。


関野さんは、人類の発祥の地アフリカから、ユーラシア大陸を通って南米までたどり着いた人類の足跡を辿る旅をしていて、フジテレビが毎年一度「グレートジャーニー」という名前で、その旅を追う番組を8年連続で放送していた。

関野さんが南米パタゴニアを出発する初回、まだ私は高校生で、以来毎年楽しみに見続け、関野さんがタンザニアで人類初の足跡をみつけた時は、私は24歳になっていた。


関野さんの公演の前に、モンゴルの少女プージェのドキュメンタリー映画を観た。プージェは、関野さんがモンゴルで出会った少女で、彼女のゲルにお世話になるところをテレビで見て知っていたが、この映画は未放送だった部分をすべて見せてくれていた。プージェのお母さんの悲しい出来事も知っていたけど、もっと詳しくわかって涙が出そうになった。
後半は、グレートジャーニーを終えた関野さんが再びプージェに会いに行くという内容だったが、想像もしなかった事態が起きていて、私も母親も周りの人たちも驚きを隠せなかった。


映画が終わると、関野さんが登場した。
「キャー!関野さんや!テレビと一緒やー!」とミーハーな私が心の中で思ったのも束の間、関野さんが話を始めると、その興味深い内容に完全に引き込まれてしまった。

モンゴルが社会主義から市場経済を導入して遊牧民の生活がどう変わったかとか、発展途上国に西洋医学を普及させることの危険性、西洋文化から陸路で東洋文化圏に入ったときの違いの明白さなど、普段私が考えもしないけど、でも興味のあることをゆっくりと語ってくれた。


私は、植村直巳も野口健も冒険家として大好きなんだけど、関野吉晴さんはまた違った角度から旅をされるので、その旅の意味を知るのがとても面白い。さすが一橋大学卒、さすが医者。そんな肩書きもちろんすごいけど、たとえ優秀であっても発想力や行動力や追求力、そして人間性の良さがないと、これほどの旅(探検というべきか)や研究を長期にわたってすることは無理だと思う。


講演会の後、関野さんの書籍を購入して、サインをもらう列に並んだ。めっちゃ嬉しくって緊張した。なんて言おう?すごい悩んだ。
そして、私の番がやってきた。私は「今日はありがとうございました。これからも応援してます。」とめちゃくちゃベタな事しか言えなかった。関野さんの目がとても印象的で、圧倒されてしまった。年齢的に普通の中年のおじさんで、特別大きくもない普通の目なのに、その眼差しがものすごく強く、優しく、神秘的に見てた。なんだったんだろーあの目。咄嗟に握手だけしてもらった。


講演会には、医者や青年海外協力隊経験者らしき人が来ていた。年配の人が多かった。もっと若い人がいっぱいきて、関野さんの意見を聞いてほしいなと思った。でも、関野さんは目立とうとしないし、自慢もしない人だと思う。そんな人だから知らない人も多いだろう。ホームページも非常にシンプルだ。
http://www.sekino.info/
私は今回プージェのホームページがあることを知った。
http://puujee.info/
日本語を勉強して、日本とモンゴル架け橋になるプージェに出会いたかった。


昨日買ってもらったばかりの地球儀を眺めて、関野さんのルートを辿ってみた。ものすごく長く遠い距離。それはつまり人類の足跡。人間ってすごいなー、それぞれ住み着いた場所によって独自の文化が出き、その違いを知ることは本当に面白い。


関野さんの講演を聞いて、いま私が思うことは、

「水を大切にしよう!」

「家族を大切にしよう!」

「勇気をもっていろいろな場所へ出かけよう!」

「人にこびないようにしよう!」

「自分が正しいと思ったことを堂々としよう!」
です。


明日からまた仕事がんばります。
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by dance_littlerock | 2012-05-23 23:32 | 登山・冒険

植村直己冒険館(東京)

2011年6月某日

東京都板橋区にある「植村直己冒険館」に行ってきました。ずっと行きたかったところなので、念願が叶い、とても嬉しい。都営三田線の「蓮根」という駅から歩いてすぐのところにありました。正直、来訪者が少なそうで、とても地味な冒険館ですが、植村ファンにとっては、とても熱いところ

植村さんが北極圏12,000キロを犬ぞりで冒険した時の模様が展示されていました。ちょうど私が生まれた頃にそんな冒険をされていたのでした。
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「不屈の精神力」…まさにそんな言葉がふさわしい冒険に思えました。寒さ、孤独、恐怖などとの戦い。でもいつもそんな中、希望、目標を持っているからなせる冒険なんでしょうね。

犬ぞりのレプリカにひとり乗ってみる私。
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植村さんの冒険した時代と現代では、装備の性能にすごい違いがあると思います。今も有名な方でいうと野口健さんや栗城史多くんがエベレストやその他の登山をしているけど、登山時に持っていく装備は全然違うと思う。そう考えると、昔であればあるほど、登山家や冒険家に尊敬する思いは強くなりますよね。

これは、植村さんの冒険時のバックパックなど。
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たまに植村直己を知らない人がいるので、ちょっと紹介。

【植村直己:登山家・冒険家】

1941年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現在の豊岡市)で生まれる。1960年に明治大学に入学、山岳部へ入部。

《中略》

1966年7月モンブラン、続いて7月25日マッターホルン単独登頂に成功。10月アフリカ最高峰キリマンジャロの単独登頂に成功。

《中略》

1970年5月、エベレスト南東稜から登頂に成功する。しかしこの経験で、大量の隊員を荷物運びとして使いながらほんの一握りの者しか登頂できない極地法による高所登山に疑問を持った。

同年8月、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦し単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

以後登山・冒険とも「単独」での行動へと傾倒する。

この頃から植村は南極横断への夢を抱き始め、少しずつ実現のための準備を始めた。

グリーンランド北部でのエスキモーとの共同生活を経たのち、1974年12月から1976年5月まで1年半かけての北極圏12000kmの犬ぞり探検に成功。

《中略》

1984年2月12日、43歳の誕生日にマッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。

1984年4月国民栄誉賞を受賞。

(以上、Wikipediaより引用)
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by dance_littlerock | 2011-07-04 12:19 | 登山・冒険
 2005年9月10日(土)

 宿泊させてもらったK子ちゃんの家のある清水市から、御殿場経由で登山道(5合目)に向かう。コンビニでミネラルウオーター4本と非常食などを買う。持って行く水の量は、本当に迷った。めちゃくちゃ重いが、喉が渇くよりは、肩に負担不がかかった方がマシと考え、多めに買った。(実際、下山後1本余った。)

 
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9月ということもあり、本来は4ルートある登山道が2つしか開いていなかった。出発前、スティック(杖)を買った。長さによって値段が異なるが、だいたい平均1,000円くらい。お金は出来るだけ使いたくなかったが、山登りが楽になると思えば、安いものだ。鈴とリボンが付いてあり、5合目の焼印が押してあった。

 14時。いい天気。さあ、出発だ。

 杖を使って爽快に歩き始める。3年前に『富士山用』と思って買ったL.LBEANの登山靴が、ようやく日の目を浴びた。すれ違う下山してくる人たちと「こんにちは~!」と挨拶を交わす。一人のおじちゃんが、「今から登るの?これから8合目まで?もうすぐだよ。へへ(苦笑)」と言った。これからどんなしんどさが、待ち構えてるんだろう?不安。だけど、周りの仲間を見たら、元気が出た。
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  遥か彼方に、富士山頂が見える。歩く。歩く。歩く。登る。登る。休む。

  k子ちゃんが、疲れてきたみたいだった。
「降りようかな~みんなに迷惑がかかるから~。」みんなが彼女を囲み、「だめ!一緒に頑張ろう!一緒に頂上へ行こう!」と励ました。私も、彼女がくれたoneのホワイトバンドを指差して、「WE ARE ONE!だよ、K子ちゃん!」と言った。みんなの助けがあって、彼女は、あきらめず頂上へ行くことに決めた。良かった☆
  
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岩場が続いた。スティックが本当に役立った。これがなかったら、もっともっとしんどかっただろう。グアムのSが、シンディー・ローパーやマライア・キャリーの歌を唄いながら登っていたので、一緒に歌った♪・・・調子に乗ってしまった。歌った後、ちょっとしんどくなった。酸素は大切に(^-^;)

  6合目が過ぎた。風が冷たくなったが、汗だくで登った。植村直己が言った言葉を思い出し、汗で濡れた服を直接肌につけないように、タオルを巻いたりして工夫した。それでも、汗の方が勝り、タオル2枚がすぐに駄目になった。思った以上に汗をかくのは、それだけ頑張ってるんだろう。

  ふと気が付けば、後ろには、見事な雲海が広がっていた!
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  歩き続けた。
  登り続けた。
  しんどいけど、頂上に行きたい。
  いや、まずは8合目の今夜の宿に辿りつきたい。
  カレーライスが食べたい。
  暖かい布団に横たわりたい。
  
 「CURRY RICE! WARM BED! CURRY RICE! WARM BED!」をみんなで合言葉のように繰り返し言いながら、登り続けた。

  辺りは、急に暗くなった。富士の東方面を登っているので、日没は早かったような気がする。見事な星空が現れた。大阪でのかなりの中心に住んでいる私。滅多に星なんて見られない。満天の星空が疲れきった身体と気持ちにパワーをくれた。

  強風と暗闇が怖かった。ヘッドライトと仲間がいないと泣きそうだった。でも、お腹の虫は鳴いていた。どれだけしんどくても、お腹はすくみたい(^0^)

  19時半、8合目の山小屋にようやく到着!待ちに待ったカレーライス!あまりの美味しさに2分くらいで食べきった!美味しい!幸せ!

  
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素敵な仲間と、カレーライスと、強風から守ってくれる山小屋。ホッとする一時だった。スティック(杖)に8合目の焼印を押してもらった(200円)。山小屋の中でも寒かったので、ありったけの服を着た。21時に仮眠を始める。8人ギューギュー詰めで横になった。深夜からの頂上アタックに向けて、ぐっすり眠らないと!疲れているし、眠れるだろう。おやすみ☆

  どうして?
 
  こんなに疲れているのに。

  ・・・・・・

  ハワイのLが、「everybody! wake up!! 2:30!」とモーニングコールしてくれた。仮眠5時間半、私は一睡も出来なかった。心底焦る。これから極寒の中、標高3,500mから登って行くのに、一睡も出来なかったなんてー!

  Jが「It's gonna be cold」と何度も言った。去年、富士登山経験のある彼。ココからが一番キツイらしい。みんなありったけの服と、マフラー・手袋・ニット帽に身を包み、いよいよ、夜中の登山が始まる。

  山小屋のドアを開けた瞬間、私は・・・  私は・・・・ 言葉が出なかった。

  OH MY GOODNESS!!!

目の前には、それはそれは大きな、素晴らしい、見事な、関東平野の夜景が広がっていた。今まで見た中で、一番大きな巨大な夜景だった。

  眠気が吹っ飛んだ。暗闇の強風の怖さが、一気に消えた!まだ何も見えないが、とにかく前へ前へと歩いた。

  何人かが、高山病の症状なのだろう。吐いた。辛そうだった。心配だった。でも、その後すぐに復活していたので、安心した。私は高山病にはならなかった。酸素タブレットのお陰かな(^_^)ただ、眠たかった。休むことを大切に、登り続けた。
 
  遥か向こうの東の方に地平線が見えてきた。
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  すごい綺麗。。。こんな景色を横目に登り続ける。
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  いよいよ、お日様が顔を出す。
  今まで生きてきた中で、一番高いところから、一番早くに日の出を見る。なんとも言えない嬉しい気持ちでいっぱいになった。

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  富士山頂一歩手前から望むSUN RISE!!
  感動した。
  感謝した。
  いろんなことに。
  みんな、疲労の顔から、幸せと感動いっぱいの顔に変わっていた。
  とても和める素晴らしい一時だった。
  
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もう少し登って、富士山頂に着いた。写真撮影したり、ボーっと眺めたり、火口を見て富士が活火山であるって実感したり・・・。富士山頂のお店は閉まっていた。8月に登った友達が食べた豚汁はいただけなかったが、富士山頂に立てただけで、本当に満足した。素晴らしいトレッキングだった。

私は、山には神様がいると信じている。
Thank you so much, Fuji God!

  富士登山を成功した喜びとともに、もうひとつ嬉しかったこと。それは、一緒にこの辛さ・楽しさ・感動を分かち合えた仲間がいたこと。みんな大好き!最高の天気と仲間に恵まれ、最高のトレッキングができた。富士仲間は、永遠です。富士同窓会しましょう。富士山頂で?(^^)v
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I love you guys! Thanks a lot! I'll never forget this great trekking! Yey!!!
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by dance_littlerock | 2005-10-28 23:40 | 登山・冒険

Fuji Trainning!!

  富士山初登頂に向けて、今年7月頃からトレーニングを開始した。まともに運動経験がない私。不安を少しでも解消すべく、週3回会社帰りに友達と二人で、ジョギング・腹筋・ストレッチなど、2時間近く汗を流す。

  一人でトレーニングする時は、上記のトレーニングに付け加え、マンションの非常階段で1階から7階までを何度も往復した。7階に着いた時、素敵な夜景が見える。頂上に着いた時の爽快感・・・マンションの7階で感じるほどだから、富士山頂に着いた時の感動は、そりゃあすごいんだろうな。

   メンタルトレーニングとして、私のバイブル本のひとつ【植村直己の冒険学校】や、同じく植村さんの【エベレストを越えて】を読む。久々に読むとまた熱いものがこみ上げてくる。

 1.汗をかいた服を着たまま歩き続けると、身体の熱が奪われ、体力の消耗が激しくなる。こまめに着替えよう。

 2.休息は大切な行動の一つ。しんどくなったら休もう。一定のリズム(歩く→休む→歩く)で行動するようにしよう。


  なるほど~!素晴らしいことが書いてある。エベレストと富士山は比較にならないかもしれないが、私にとっては、3,776mの頂上を目指すことは、それなりの覚悟がいる。出発直前には、MontBellへ行き、厚手の靴下とともに、『酸素タブレット』を買った。


 ◇◆国際的な富士登山メンバー◆◇

・私(大阪出身)
・K子(静岡出身)
・K美(静岡出身)
・J (ハワイ出身)
・L (ハワイ出身)
・D (ハワイ出身)
・S (グアム出身)
・J (ペンシルバニア出身)

以上8人のFuji buddyがひとつになり、山頂を目指す!みんなに迷惑かけないようにしなければ!かなりの緊張感をもって、大阪組4人は、9月10日(金)の仕事帰りに新大阪に集合し、静岡に向かった。
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by dance_littlerock | 2005-10-23 13:59 | 登山・冒険